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全日中展

東京都美術館で開催されている「全日中展」を見てきた。

 

小山汀雪さんの作品

得意の龍を描いて見事に大きな賞を射止めた。おめでとうございます。

今回作品展を観て複雑な感情を得た。

公募展が全く様変わりしていた。

公募展に応募する作品が激減したのだろうか、企画展がスペースの大半を占めていた。

企画展示自体は悪くないし、他でもその例はある。然し公募展とは名ばかりの状態では話は変わってくる。

最も残念なことは、水墨画の公募展ではなくなったようである。

ここ数年水墨画の公募展が激減している。

水墨画はマイナーを通り越して今や絶滅危惧種と言っていい。

日本独自と言ってもいい(もちろん中国から渡来した)水墨画が正しくこの先も伝承されていくのかはなはだ疑問になってきた。

われわれ水墨画に携わっている者にとって、水墨画の魅力を十分に伝えているのか責任は重い。ディジタルに慣れ親しんでいる現代人にとって、練習を積まなければ上達を望めないアナログな作業は苦手なことは分かる。しかし、ディジタルでは味わえないアナログの良さを感じてほしい。

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安達嵐松

横浜国際書画展

横浜国際書画展が2月1日~6日開催されている。

上記4枚の絵は、左から、矢形嵐酔先生、山田酔藍氏、島崎燕酔氏、私の作品。

ここでは普段あまり見ない作品を紹介する。

水墨画とは何ぞや、

原点を思い出させてくれるような作品である。

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安達嵐松

第46回 国際書画展

国際書画展が国立新美術館にて開催されている

書道と水墨画が一体となって公募展示されている

主な作品を挙げれば

 

内閣総理大臣賞受賞作品(藤井沙子氏)

 

理事奨励賞受賞作品(吉田紅峯氏)

 

文部科学大臣賞受賞作品(森紘一氏)

 

中国大使館賞受賞作品(川村美代子氏)

 

大賞受賞作品(高嶋紀石氏)

などなど

わが師矢形嵐酔氏の作品

 

島崎燕酔氏の作品

 

山田酔藍氏の作品

 

私の教室生徒(小関美枝子氏)の作品

一般公募から見事佳作受賞を射止めました

メリハリの利いた良い作品に仕上がっています

 

最後に私の作品 涼風

島尾新顧問賞、会員賞のダブル受賞

 

少し感想を

胡粉の使い過ぎ作品が、特に上級役員クラスに多いのが気になる。

上記に記した理事奨励賞作品もその一つである。

クラゲを素晴らしく描いているだけに多用してある胡粉が気に入らない。

胡粉を全く使ってはいけないと言っているわけではない。

しかし用紙の白さを残し補助的に使うものであろう。

ある理事の作品では、全面胡粉で雪景色を描いていた。これでは水墨画とは言えない。

 

もう少し、突っ込んだ考えを次のブログで

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安達嵐松

現代水墨画とは

前回で述べたイベントにて会場から質問が飛んだ。

現代水墨画とは何を言うのか。

確かに何を言うのだろう。考えてみたけれども良く解らない。審査員の方々の意見もピンとこない。

 



ちなみに、上記写真3点がこの公募展で現代水墨画芸術賞に選出された。

共通点は見いだせない。

しからば、それぞれの各作品の他とは違う現代性とは何か。良く解らない。

水墨画に限らず、先人たちの脈々と受け継いできた技などに加えていつの時代も新規性をだそうと努力してきた。その努力をもって現代というならばすべてが現代と言えるのではないか。現在という時代に生きている者は、その時代を無視して生きることなどできない。

しかし、なんとなく古臭いと感じることはある。古典だから古臭いと感じるのか。

変化の激しい時代にあっては、ほんの2~3年前のものであっても古臭さを感じ差たりする。流行は繰り返すといわれるように、古さが新しさに代わることもある。

そもそも、現代水墨画賞なるものが必要なのか。

最近やたらと賞の数が増えて賞の意義をなくしているように思う。よく同業者や友達などから「この賞とあの賞ではどちらが上なんですか」と問われる。私には答えられない。

因みに、この展覧会では、順不同に述べると、大賞、大阪府知事賞、準大賞、尼崎市長賞、金賞、銀賞、特選、佳作、審査員特別賞、文化芸術賞、朝日新聞社賞、読売新聞社賞、毎日新聞社賞、神戸新聞社賞、芸術文化協会賞、日中文化交流協会賞、国際中国書法国画家協会賞、京都中国書画院賞、現代水墨芸術賞などがある。賞もそれぞれ1点ではなく、複数の物も多数あり、石を投げればいずれかにあたる状態である。これでは賞の価値はどこにあるのか。

重賞に値する作品を厳選し、賞の理由を明快にすることによって公募展の権威も高まるように思える。例えば、準大賞が3点もあるが公募展の規模からしてやはり1点がふさわしいのではないか。時にはその賞にふさわしい作品がなければ与えないことも必要である。

もちろん、賞の有無によって作品の価値が変わるのではないが、公募展とし、審査をするからには気になるところである。

安達嵐松

 

公募展における上位入賞

ある公募展でのこと。

審査員及び招待作家のトークイベントがあった。

優秀な作品集まり、いずれも甲乙つけがたいとお決まりのあいさつにうんざりしていた。そこで思い切って質問をした。

「まだまだ勉学の身で、ここにいる皆さんも知りたいと思うので教えていただきたい。上位入賞と上位入賞に至らなかった作品の違いは何なのか?」

答えはこうであった。

水墨画に必要な要素は3っつある。構図、墨色、余白の3要素である。その後それぞれに解説があった。

審査の基準はこんなものかとあきれた。

構図、墨色、余白が大事であることは論を待たない。然しおかしい。そもそも構図、墨色、余白がおかしい作品を入選させているのか?この公募展では、一般公募優秀作品として展示されていたはず。構図、墨色、余白は必要条件であって、上位入賞の十分条件ではない。

審査委員長の意見はここに記すのもはばかられるので無視するが。

私は、私見ではあるが 感動あるいは感銘 であると思う。何に対して感動、感銘を受けるかは人それぞれであるといっていい。しかしうまい絵であっても、感動、感銘を受けない絵はそこまでである。

例えとして風景を取り上げてみる。

公募展に出展する者であれば、強く心惹かれる光景があり、その光景を描きたいと思ったはず。強く心惹かれる光景は人さまざまであり、あるいは心象風景かもしれない。自分が強く心惹かれた光景を見る者にいかに伝えるかを苦心したはずである。そこに独特の構図を考えたり、墨色(透明感を出すなど)を工夫する、あるいは白に限らない余白によって主題をより際立たせるなど作者は心血注いでいる。

作者の意図が十分に表現されているか。審査員はどのように見て審査したのか。どこが優れていると感じたのか。などなど熱い議論が欲しい。審査員先生方の審査にかける熱い思いを聞けたとき、次頑張ろうかなと思う。

質問するのはむつかしい。上位入賞作品に異議をつけているように受け取られているかのようで、さらなる質問はやめた。

安達嵐松

無連絡

水墨画を教える立場になって表現がむつかしいが、どのようにしたらいいのか戸惑っていることがある。

連絡なく教室に姿を見せない人が少なからずいます。あるいは、連絡が当日になってからというのもあります。もちろん急病、急用などやむを得ないことも考えられます。

直前であっても連絡があれば、それなりに対処できます。然し無連絡の場合、途中で事故にあったのではないかなど心配が尽きません。

水墨画を教えるということは、単なる知識の切り売りではありません。私の場合、個々人に合わせた指導をして必ず描けるようになってもらえるように指導します。門人様お一人お一人に合わせて準備をします。準備だけではありません。それに伴って用意していく持ち物も増えます。

門弟様の時間を十分に確保することを優先にしています。門弟様の都合によって、受講時間の変更を可能しているので、日によっては体験希望をお断りすることもあります。無断あるいは当日キャンセルが、体験希望者の権利を奪っていることになります。

極端な例かもしれませんが、このようなことがありました。

過去にはいまだ寝床の中にいた人もいましたので、連絡なく教室来ない門弟に、「いまどこにいるの?」とラインしました。「電車の中」との返信に少し安心し間もなく到着するだろうと他の門弟たちを指導していました。現れないので、「〇時までで教室は閉めます。今日は、どうしたの?」とライン。「今京都でーす。友達と今旅行でーす。」が返事。

もう一つ例を挙げます。

体験予約があり、メールで道具の有無、経験の有無など聞き準備万端を整え教室で待ちましたが連絡も取れず無断キャンセルされてしまいました。その後も当然連絡は取れていません。

時代が変わり、考え方、行動パターン、などが大きく変わってきていることは分かっているつもりです。今の若者に、「デート待ち合わせ場所にドタキャンされたらどうおもうか?」との質問に、「何とも思わない。私もする。」との回答が過半数を占めているとテレビで報じていた。

無連絡が容認される世の中かもしれないが、私にはその対処の仕方がわからない。

 

今後、水墨画に直接かかわる(絵、展覧会など)は、

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ここでは、水墨画に限らす広く取り上げます。

安達嵐松