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公募展での評価(水墨画)

 いろんな公募展を見ていると時には首を傾げたくなることがある。勿論美術作品に対する評価の仕方は人それぞれであるが、納得いかないものが多い。公募展と銘打たず、ある団体の中だけの序列をつけた展示であれば、その団体での考え方として納得する。しかし、属する団体を問わず一般公募とし、しかも大臣賞まで出せる権威のある公募ならば話は違ってくる。賞に値する作品の与えられる賞の多少の上下(秀作、優秀、奨励賞など)は見る者の主観によるので問題ない。しかし大臣賞など大きな公の賞となるとことは深刻である。表彰式、祝賀会に出ても審査委員から説明があったためしがない。

 審査委員はまず評価にの基準を示すべきである。必要条件と十分条件という言い方がある。大臣賞受賞作品の中には水墨画にとって必要条件すら満たしていないと思える作品が散見される。入選は必要条件を満たすことが最低求められることであり、その巧拙によって一般の賞が与えられると思われる。そこに十分条件が加味され、重賞に値すると思える。さらに上の賞となると、主催者側、審査員が何を求めているかになる。

 公募時点で審査基準を示せないなら、賞決定後に何を評価して大きな賞を与えたのかを説明すべきである。特に大臣賞のようなトップクラスの作品については。そこには私のように未熟なものが気づかされることがあるかもしれない。

 少し話はそれるが、ある書道展での出来事を述べる。良さがわかりづらく苦手な現代書道の展覧会でのトークイベントで審査員代表と制作者が一つの作品に30分ほど時間をかけ、作品の意図、その意図を実現するための技術面での苦労など制作過程から事細かに説明していた。私のような門外漢にでもワクワクする内容であり、よく理解できた。説明を聞き終え改めて作品を眺めてみると今までと違って見えてくるのがよくわかる。恐らく別の書道展ではまた違った見方であろう。けれどもそれでいいのである。何故ならその書道展の審査の考えを表明しているから。

 とかく黒い噂の絶えない公募展もある。何よりもまず黒い噂を打ち消す努力を審査に当たる人は考えるべきであろう。水墨画の発展のために。

 

                安達喜一
               メール:y-adachi@aria.ocn.ne.jp